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堀越二郎の生涯「飛行機作りにかけた人生」

崎駿監督作品の映画『風立ちぬ』で一躍有名になった堀越二郎は、1903年(明治36年)に群馬県の藤岡市で生まれました。当時世界最強の戦闘機といわれた通称ゼロ戦(零式艦上戦闘機)の設計主任として有名です。堀越が生まれた1903年は、ライト兄弟が人類初の飛行に成功し、また、その翌年の1904年に開戦した日露戦争では、小国日本が大国ロシアに勝利をおさめ、大戦景気と共に日本の航空技術が急速に発展を遂げていった時代でもあります。

越は東京帝国大学工学部工学科を首席で卒業し、現在の三菱重工業にあたる三菱内燃機からスカウトされて入社。会社から支度金四百円(今の100万円相当)を用意されて、航空技術を学ぶために1年半の間、欧米を旅することになります。そこで堀越はイタリアの航空機メーカーの創業者であるジャン・カプローニ氏に出会い、「飛行機は単なる戦争のための道具ではなく、存在そのものが美しい夢である」という考え方に深く感銘を受けて、ゼロ戦開発においても、その形状の美しさとすぐれた機能は両立(機能美)できるという強い信念を持っていました。また、非常に几帳面な性格だったようで、部屋に布団を敷くときは、必ず壁と並行になるようにするといったエピソードもあります。

戦下で高性能の戦闘機の開発を求められた堀越らは、機体に打ち込まれている鋲の頭を削って滑らかにし空気抵抗を抑える「沈頭鋲」や、失速を防ぐための「主翼のねじり下げ」といった、現代の航空機では当たり前のように用いられている技術を考案しました。それらの技術を盛り込まれて製作されたゼロ戦は、海軍から要求を受けていた航続力、速度、空戦性能の全ての要素を高次元で満たし、「ゼロ戦にはなにか神秘的な性能がある!」、「ゼロ戦を見たらまず逃げろ!」と恐れられるほど高い戦闘力を誇りました。

堀越は終戦後、後の新三菱重工となる中日本重工業に勤務し、退社後は東京大学の宇宙航空研究所で教鞭をふるい、防衛大学・日本大学の教授を歴任したのち、1982年(昭和57年)に亡くなりました。享年78才でした。
なお、映画『風立ちぬ』は、堀越二郎が、欧米渡航中に出会ったジャン・カプローニ氏に触発された飛行機作りの夢をモチーフとしたファンタジーなシーンや、小説家 堀辰雄にちなんだ恋愛ストーリーが組み合わせて描かれており、宮崎監督の最後の作品ということも相まって、興行収入120億円を超える大ヒットを記録しました。主題歌に選ばれたユーミンの往年の名曲「ひこうき雲」の哀愁漂うメロディーも人々の心を魅了しました。