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商業貿易の歴史

商業貿易にまつわる世界の歴史についてまとめました。
現代の貿易取引を深く知るうえでヒントになることもあるのでは? ぜひ参考にしてください!

古代 中世 近世近代 現代

古代

オリエント
オリエント
東地中海地域では、すでに紀元前1200年頃から紀元前1000年頃にかけて、フェニキアの商人達が地中海貿易を行っていました。また、内陸部では、アラム人などによる陸上貿易も盛んでした。
彼らは、単に交易を行っただけではなく、取引の記録やコミュニケーションの手段として表音文字を考案し、商業活動に役立てました。なかでもフェニキア文字は、ヨーロッパ系言語に使用されるアルファベットのもとになるなど、文明の発展に大きく貢献しました。
ローマ帝国
ローマは、紀元前6世紀末に成立した都市国家ですが、その後次第に勢力を拡大し、紀元前1世紀後半には、地中海沿岸地域を中心として西ヨーロッパにまで及ぶ、広大な領土を誇る大帝国となりました。そして、遠隔地間の交易も盛んに行われ、繁栄を極めることになったことはよく知られているとおりです。
アジア
ローマ帝国が発展していた時代には、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易路も活発に利用されるようになっていました。西のローマから東の中国までを繋ぐルートとして、北から「草原の道」、「絹の道」、「海の道」と呼ばれる3系統の道が発達しました。特に、「絹の道」は「シルクロード」とも呼ばれ、商人達の交易活動を通して、様々な物資が交換されたのはもちろんのこと、人々の移動に伴って文化や言語、宗教などの伝播や交流も行われるなど、世界の歴史に大きな影響を及ぼしました。
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中世

ヨーロッパ
ヨーロッパ各地では、11~12世紀頃から商人や商工業者が集まる都市が成立し、周辺の地域で商業活動が行われていましたが、十字軍によるイスラム方面への遠征などを契機として、次第に遠隔地との交易へと発展していきました。
当初は、北イタリアの諸都市による地中海貿易が中心でしたが、交易範囲の拡大に伴い、北ドイツやフランドル地方(現在のベルギー・オランダなど)、フランスのシャンパーニュ地方、ドナウ川やライン川の流域など、多くの商業都市が栄えるようになりました。
イスラム
中世_イスラム
西アジア地域では、もともと遠隔地間の交易が盛んに行われていましたが、イスラム帝国による支配領域の拡大に伴い、イスラム商人達が自由に往来できる範囲も大幅に広がったため、商業活動はますます活発になりました。
当時の貿易では、陸路を使う隊商貿易と、海路による商船貿易とがあり、陸路では、南ロシアや中央アジア・中国のほか、内陸アフリカなど、また、海路では、アフリカ東岸やインド洋・南シナ海など、非常に広い範囲で取引が行われました。
また、イスラム商人の活動地域では、彼らの居留地が形成され、中央アジアや東南アジア、西アフリカなどの文化や宗教などにも強い影響を与えました。
東アジア
中国では、宋の時代に入って経済が大きく成長し、イスラム地域との海上貿易など、海外との取引が盛んに行われるようになりました。
また、元の時代になると、モンゴル帝国による支配領域の拡大に伴い、ローマ教皇との政治的な交流をきっかけとして、ヨーロッパ地域との交易も活発になりました。1271年にはイタリアからマルコ・ポーロが派遣されるなど、貿易だけでなく、文化や科学技術の交流などにも大きな影響を及ぼしました。
さらに、ヨーロッパやイスラム地域、日本などアジア各国との貿易は、後の明の時代以降も続けられ、経済の発展に大きく貢献しました。そして、海外に移住する中国人も次第に多くなり、特に東南アジア地域では、現地に定住して商業活動などに従事する「華僑」と呼ばれる人々が活躍するようになりました。
日本
中世_日本
日本では、古代から中国や朝鮮との交流がありましたが、本格的な海外貿易としては、平安時代末期の日宋貿易から始まったとされています。政権を握った平清盛は、大和田泊(おおわだのとまり、現在の神戸市にあった港)を修築し、瀬戸内海経由による宋との海上貿易を積極的に推進しました。
その後の室町時代には、足利義満の方針によって日明貿易が開始されました。日本からは刀剣・扇・屏風などの武具や工芸品のほか、銅などの鉱産物が輸出される一方、明からは銅銭や生糸・陶磁器・書籍などが輸入されました。また、琉球(現在の沖縄県)でも、日本や明、東南アジア諸国との中継貿易が盛んに行われていました。
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近世近代

ヨーロッパ
近世近代_ヨーロッパ
ヨーロッパの一部の国では、15世紀末から16世紀にかけて、大型の帆船を使い、大西洋を経由して未知の世界を目指す、大がかりな探検活動が行われるようになり、「大航海時代」とも呼ばれています。ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマによる、アフリカ大陸南端の喜望峰を経由したインドへの航海、そして、スペインのコロンブスによるアメリカ大陸の発見などが有名ですね。
やがて、スペインやポルトガルによる南北アメリカの植民地化、さらには、オランダやイギリスなども加わり、インドやアジア各地への進出がさかんに行われた結果、地球規模での貿易が行われるまでになりました。さらに、オランダやイギリスを始めとする各国が「東インド会社」を設立して、貿易取引の安全を図るとともに、利益獲得を競うようにもなり、インドや東南アジア地域が植民地化されていく足がかりともなりました。
アジア
アジア地域では、次第にヨーロッパの列強諸国による圧力が強くなり、植民地化の進展とともに、対等な立場での貿易からはほど遠い状態に至りました。
中国においても、17世紀以降、清とイギリスとの間で貿易が行われていました。しかし、清からイギリスへは茶などの物資が大量に輸出された一方で、イギリスから清への輸出は、清がその条件を厳しく制限していました。このような状態が背景となって、後にアヘン戦争へと進展し、さらには列強諸国との不平等条約の締結や、領土の一部割譲など、その後の混乱へと繋がっていきました。
日本
近世近代_日本
室町幕府崩壊後の安土・桃山時代から江戸時代の初期にかけては、いわゆる南蛮貿易が盛んになりました。特に、九州地方の諸大名や、堺・京都などの商人が中心となり、スペインやポルトガルなどとの間で取引が行われました。また、朱印船による貿易取引に伴って、海外に移住する日本人も増え、東南アジアの各地に日本町がつくられたことはよく知られています。
一方、キリスト教の布教が進んでキリシタンが増加することや、一部の大名が過大な経済力を持つことを危惧した徳川幕府は、方針を大きく転換し、キリスト教を厳禁するとともに、貿易取引についても大幅に制限する政策をとりました。さらに、島原の乱を契機として、オランダ・中国・朝鮮・琉球以外の国とは完全に交流を閉ざし、いわゆる「鎖国」の状態が幕末まで続くこととなりました。
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現代

世界
現代_世界
16世紀後半以降、ヨーロッパの列強各国による、アジア・中東・アフリカ地域の植民地化が徐々に進み、各国の利害の対立が激しさを増す中で、やがて20世紀の第一次世界大戦・第二次世界大戦へと進展していきます。
戦争が続く時代、日本を含め、各国とも一時的には貿易取引が好調であった時期もありましたが、世界情勢に大きく左右されることは避けられず、安定性を欠く状態となっていました。
1945年、第二次世界大戦はようやく終結しましたが、その後、世界の主要国は、アメリカを中心とした西側(資本主義)陣営と、ソ連を中心とした東側(社会主義)陣営に分かれて対立する、いわゆる「冷戦」の時代となりました。
ヨーロッパの復興を主導するアメリカは、1947年にマーシャル・プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)を提案、さらに1949年には北大西洋条約機構(NATO)の結成など、資本主義体制の強化を図りました。一方、ソ連も同じ1949年に、経済相互援助会議(COMECON)を組織するなど、東西の陣営が政治体制だけでなく、貿易など経済体制も含めたブロックを形成して対立する状態が続きました。
その間、アジア・アフリカ諸国の独立や、西ヨーロッパ地域の経済復興なども進みましたが、世界情勢の大きな変動の中で、1990年前後には、ソ連や東ヨーロッパ諸国の社会主義体制が次々と崩壊し、東西冷戦の時代は終わりました。
現代_世界 その後は、ヨーロッパ連合(EU)やアジア太平洋経済協力会議(APEC)など、世界中で経済的な地域統合が進み、現在では、環太平洋地域経済連携協定(TPP)などの交渉も行われています。その一方で、インターネットの急速な普及など、情報通信技術の発達に伴い、国家や政治体制の枠組みを超えて人やモノが移動する時代となりました。貿易取引の分野においても、今後ますますグローバリゼーションの進展が予想されています。
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